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「初詣どこにいく?」

  • 執筆者の写真: Genesis
    Genesis
  • 2 時間前
  • 読了時間: 2分

年末年始。この時期の日本海側の湿った風は、顔に手足に、ズキズキと突き刺してくる。


先日、仲の良い、他の会社の先輩から食事の誘いを受けた。


「いやー、遅れてすみません」。

私は冬の匂いが染み付いた上着を脱いで、暖房の効いたカウンター席に横並びで座った。


仲が良いと言いながら、よく考えたら二人でご飯に行くのは半年ぶりくらいかもしれない。


他愛のない会話のなかで、年末年始の予定の話になった。

「そういや、初詣どこ行くの?」。


私はとっさに「いやー、行かないですねー」と答えた。

すると彼は「行ったほうがいいよ!」と笑った。


両親ともにクリスチャンの家で育った私は、初詣など行ったことがない。


初詣とは、文字通り年の初めに神社や寺に参拝することで、旧年の感謝を伝えるとともに、新年の無事や幸福を祈るというのが目的だ。


多くの日本人が「文化」「習慣」としてこれを行なっている。


クリスチャンにとってはどうかというと、一言でいえば「初詣をする必要がない」と私は思う。


そもそも、聖書では神さま以外のものを拝んではならないと言っているので「しない」のが普通だ。


しかしそれ以上に、神さまは私たちの1年が、人生がより良くなる計画を作ってくれている。


「恋愛の神に祈ったので恋人が出来た」とか「学問の神に祈ったので志望校に合格した」とか、そんな目先のことではなく、時に「こんなはずじゃなかった」と思えることがあっても、それは神さまの計画のうちのことなのだ。



わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

( エレミヤ書 29:11)



そんな神さまのことを知っていれば、そのことを忘れずにいれば、別にわざわざ初詣をする必要なんかない。お守りも買う必要はない。神さまがいるから。


主ご自身があなたに先立って進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」

(申命記 31:8)



旧年が守られたことに感謝しつつ、

新しい年が祝福にあふれる1年になりますように。

 
 
 

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