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「アレス・グーテ!」



ことしの1月に祖父ががんで亡くなった。90歳だった。


去年の12月に一度、調子が悪くなって「山かもしれない」と言われたので、私は東京に飛んで、そこから1週間滞在したのだが、なんやかんやで生き延びていた。


しかし、1月の終わりにあっさりと一人で行ってしまった。家族に見送られてとか、そういう感じではなかった。

自由で頑固な祖父らしいといえば、らしいのだが。


祖父は長年、研究者をしていてその道では有名な人だったそうだ。


毎年夏になるとドイツに行って仕事をしていて、たまに子どものころの我々も連れていってくれた。


それで祖父は、普段会ったときや電話の最後に、別れの挨拶として「アレス・グーテ(Alles Gute)」というドイツ語の言葉を好んで使っていた。


そのまま訳せば「全てが良きように」。日本語でいえば「ごきげんよう」とかそういう感じか。


「さようなら」という言葉は、ドイツ語では「アウフ・ヴィーダーゼーン(Auf Wiedersehen、直訳すれば、また会うときまで)」が知られているけれど、「Alles Gute」はなんだか、「祈りの言葉」が入っているような、そんな気がする。


ことしの正月、東京に帰省したときに祖父の入院する病院に行った。

「仕事はどうか」「体には気をつけろよ」などと、他愛のない話をした。


そして、いつものように、お互いに「Alles Gute」と言って病室を出た。

まさか、それが最後だとは思わなかった。


最後のときに立ち会えなかったことへの後悔も多少はあるが、私の中では寂しさはあまりなかったりもする。


聖書では、天国についてこう記している。

「もはや死はなく、悲しみも叫び声も、苦しみもない。以前のものは過ぎ去ったからである」(ヨハネの黙示録21:4抜粋)


祖父は最後の最後までヨーロッパに行きたがっていたのだが、コロナ以後の5年間はがんになったり、そもそも老人なのでそんなハイリスクなことをさせられるかと我々家族が行かせなかったりと、本人は苦しかったのではないかと思う。


天国にいるいま、そんなもどかしさや病気の痛みや苦しみなどとは無縁で暮らしているのだ。


もっとも、天国にも持っていけると思ったのか、大量の本や論文は部屋に残されているのだが…。


残された私たちはどうか。

「それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネの福音書3:16抜粋)

つまり、イエス・キリストを信じることで、永遠のいのち、つまり天国に入ることができると約束されている。


私もいつか天国に行く日が来て、そこでは祖父も12年前に亡くなった父にも再会できる。同じ信仰があるから。


天国に向かう飛行機があったとして、

空港に見送りに来た我々家族が目を離したすきに、祖父は保安検査場のなかに入ってしまったようなものだ。


でもいつか必ず、私もそっちに行く。


だから、「Alles Gute」なのだ。

 
 
 

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