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存在

  • 執筆者の写真: YH
    YH
  • 9月25日
  • 読了時間: 3分

はじめまして。今年7月から教会員になりましたYHです。


私は生まれた時から、不治の病のデュシェンヌ型筋ジストロフィーを抱えています。この難病は、遺伝子の異常のせいで、体の筋肉が壊れていきます。筋肉が壊れると、身体を動かしたり、呼吸したり、食事ができなくなる病気なんですね。


私は呼吸することができないので、24時間ずっと、人工呼吸器で生きています。あと、手の親指だけしか動かせないので、食事も、トイレも、着替えも、ひとりでは身の回りのことが何もできません。


ブログでは、伝えたいことを書いていこうと思っています。


『あなたが私を愛してから、私はどれだけ価値のある人間になったでしょうか』

【ゲーテ】


私は現在の医療では、延命治療をしても、30代後半で死ぬと言われています。死に対処することは、死ぬことよりも、恐くて困難です。でも、死をリアルに感じていても、信仰・希望・愛という人生で守るべきものを保ち続けることができれば、心が死んだ状態で生きることはないですし、神様から与えられた寿命の最後まで生きていこうと思えるから、人間の尊厳を守ることになります。


一方で、できることが少なくなっていく病気、誰もが訪れる老化、みんなそれぞれの弱さを抱えています。でも、「できなくても良い」「存在するだけで良いんだ」と思うことは大切だと思います。


人の生命は神様の御心によって創造されたものだから、存在するだけで尊いのです。私は何ができるかではなくて、自分が存在しているだけで人生に喜びを感じたいです。言い換えるなら、存在することが最大のできることなのです。


そのためには、自分を無条件で愛してもらうことが必要ですが、神様は、イエス様を信じる私たちのことを存在で愛して喜んでおられるから、私も存在しているだけで、自分や隣人を愛して喜んでいきたいです。あなたが存在してくれることが「ありがとう」と伝えていきたいです。どんなときも、神様や隣人とつながっていることを感じているのなら、ずっと人の尊厳や幸せは守られると思います。


ちなみに、私は難病になるくらいなら、生まれて来なければよかったと思った時期がありました。でも、人はお互い影響し合って生きていますから、もし私が生まれて来なければ、今まで私に関わってくれた人たちの人生や性格は何かしら変わってしまうと思うのです。神様は一人一人を用いてご計画を実行されるから、私も生きている意味があります。


また、たとえ死んだとしても、残された人間が、その人の生と死を意味深く受け止めて生きていく時に、本当の意味で、死んだ人の命が残された人間の中で生きていくと思います。


大事なことは、病気になったり、挫折したり、愛されなかったり、と悔やんでいる過去から再生し、残された人生を生き直すこと。イエス様にあって受け入れて赦すことによって、戻ることのできない過去の出来事に新しい意味を作り、人生や人間関係を回復することができると思います。重荷を負っている人間は赦されることが必要です。だから、イエス様の十字架なくしては平安に生きられないのです。


そして、自分は神様や隣人と共に存在しているのだ、と自覚していると、苦しみの中でも、神様や隣人と手をつないでいこう、という積極的な姿勢に変わってくると思います。また、どのような身体の状態になっても、祈ることはできます。祈りとは、神様と隣人への愛のあらわれなのです。


【ヨハネの黙示録 4章11節】


「主よ、私たちの神よ。あなたこそ栄光と誉れと力を受けるにふさわしい方。 あなたが万物を創造されました。みこころのゆえに、 それらは存在し、また創造されたのです。」

 
 
 

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