2020年1月、私が大学4年生のときに我が家の犬が死んだ。
白いふわふわのポメラニアンで、飼い主に似ておバカで、名前はノエルさんといった。
小学校1年生のクリスマスにやってきた。フランス語の「クリスマス」からノエルという名前になった。みんなノンちゃんと呼んでいた。
基本的にハッピーな犬だった。辛いことがあってもノンちゃんがいたからなんとか乗り越えた。
その日は日曜で、昼に母親から「ノンちゃんが危ない」とメッセージが来ていた。おばあさんとなっていた晩年は病気をしていて、治療でなんとか生き延びていた形だ。今晩が山という感じらしい。
教会のご婦人方が「最後に会わないと絶対に後悔するわよ」と私の背中を押したので、急遽静岡から東京の実家に帰った。
私の帰りを待っていたかのように、実家に着いて数時間後ノンちゃんは旅立っていった。
一人暮らしになってから、あまり世話ができなかったのを悔やんだ。
最後に「ノンちゃん大好き」と言えて良かった。
2011年2月、父親が召天した。
突然のことだった。
その日は普通の朝だったから。
帰ってくると思ったし、また夜が来て一緒にご飯を食べて、寝たら次の日が来ると思っていた。
しかし、父は帰ってこなかったのだ。
そして、その日を境にして我が家の姿は大きく変わった。 。
住む場所はもちろんのこと、生き方も、考え方も、"普通"も変わってしまった。
「なんでそんなことをするんだ」と、私はどうにもできない怒りを神さまにぶつけていた。
それから1ヶ月もしないうちに、東北で大きな地震が起こった。
そこには、きっと私たちのような家族たちが無数にいたに違いない。
1995年1月17日の朝、神戸には「おはよう」が言えなかった人がたくさんいた。そして、その日を境に変わってしまった人生もたくさんあったのだ。
「おかえり」が言えるって、実は奇跡なんだよな。誰しも必ず帰って来れるわけではないから。
同時に、「さようなら」が言える別れも、実はそんなに多くはないのだと思う。私たち人間が勝手に当たり前だと思い込んでいるだけではないか。
人生は思い描いた通りにはならないし、予想なんか外れる。だが、すべて神さまの計画の中である。苦しみさえも益としてくださるのだ。
ノンちゃんは父のことが一番好きだった。母は「クリスチャンの家の犬だから、きっと天国にいくんだよ」と笑っていた。
たまに父もノンちゃんも夢に出てくる。また会えたらいいな。
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