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執筆者の写真渕上

誰にでも失敗はあるさ

人は誰でも間違うことがある。

大失敗をしてしまうことがあるのだ。

ある時、動物看護実習に来た娘さん、犬の入院室の掃除をしていました。ケージに頭まで突っ込んで洗い流し、水切り棒を操作していた時です。引いた瞬間にちょうど後ろにいたカメ子のお尻に水切り棒が命中した。

「きゃあ! 浣腸された!」

「あ、すみません、カメ子先輩、気がつきませんでした。」

「いいけど、気をつけてね。」

「すみません、私そそっかしくて。ヘヘヘ、実は昔も間違えて浣腸したことがあるんです。」

「え?どういうこと?」

「はい、まだ高校生の頃でしたが、私が駅のホームに出ると、友達がそこにいたんです。それでこっそり近づいて、持っていた傘で『へい、浣腸!』と突いて、スカートめくりしたんです。そしたら、その人がびっくりして振り向いたら、友達じゃなくて知らない人だったんです。『あ、すっません。友達と間違えました。すっません、すっません・・・』って、私、必死で謝りました。」

「ハハハ、そうなの、なかなかやるわね。でも、私には勘弁ね。」

・・・そんな会話が聞こえて来た。

人は誰でも失敗する。笑いですまされるならいいが、どこかへ消えてしまいたくなるような失敗、場合によっては許されないような深刻な失敗・・・生きている限り、いつ大きな間違いを犯すかもしれない。

だけど、顔から火が出るような恥ずかしさの中で、故郷にも帰れなくなるような失敗でも、恥を忍んで面の皮を厚くして生きて行ったら、もしかしたらいつの日かあれほどの辛い出来事も苦笑いで思い出せるようになるかもしれない。

失敗を受け入れるためには、年を重ねなければならない。

エジソンは貸してもらっていた列車の中の仕事部屋兼実験室で失火し、列車を焼失させたらしいが、それでも駅舎への出入りを続けたという。

聖書は失敗しておろおろする私たちをいつも見守り、実はそれらを最初からご存じの神がおられることを告げている。

失敗にも意味がある! 意味があるのです!! だから見守っていてくださるのではないでしょうか。

イエス様はペテロにこう言われました。

「しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」 ルカの福音書223


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