12月だというのに、福岡でも雪が降って、それもパラパラというよりもザーザーと降っていて、私はありえない寒さに震えているところだ。部屋も冷蔵庫の寒さで今もコタツから出られずにいる。
さて、人間がつくった暦というシステムでは、この時期は"年末"になる。
特に何があるわけでもないのだがワクワクした気分になる。
綺麗な装飾がそうさせるのか、美味しそうなケーキがそうさせるのか…。
会社の車のラジオから、今年何十回目かのマライア・キャリーが流れてきたので、チャンネルを変えてしまった。
一年が終わるということであれば、今年がどんな年だったか振り返ってみる必要がありそうだ。
私自身はどうだっただろうか。世界は、街は、人々は。
私を含め、人間は常に間違い続けている。今年は特にそれを感じる一年だった。
お隣の国が戦争を始めた。
私も、2020年に卒業旅行と称したひとり旅で横断したあの国だ。
シベリア鉄道の列車の中でたまたま乗り合わせた若い兵士たちと笑いながら過ごしたあの時間から、2年しか経っていなかった。
彼らのことを考えると、本当にやりきれない。
戦争では、人間はいくらでも野蛮で暴力的になれる。かつての日本もそうであったように。
ところが、戦争という暴力を「平和のため」だとか、それらしい理由をつけて正当化する考え方が日本にもあって、それは政策として現在進行形で(それも閣議決定という形で)動いている。
二度とあの戦争の悲劇を繰り返さないと誓った憲法があるのに、である。
果たして、これは神さまは喜ばれることなのだろうか。
人間は、つねに平和とは程遠い世界を作っている。これも全て私たちの罪のせいだ。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。」(ヨハネの福音書3:16-17)
クリスマスは、そんな罪にまみれた私たちをゆるすために、神の御子であるイエス・キリストがこの世に来られたことを覚える時だ。
来年は、人間が「本物の平和」を求める一年になりますように。
メリークリスマス
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